温泉街の再生

今年も10月中旬に「温泉保護・管理研修会」に行ってきました。研修会は例年、東京の会場で二日間座学があり、三日目に希望者のみ関東近郊の温泉施設を見に行くというパターンなのですが、今回は初めて三日目の現地視察に参加しました。東京駅から新幹線「のぞみ」に乗って40分あまり、東京の奥座敷ともいわれる熱海の街です。駅前には足湯があります。「家康の湯」というそうです。こういうネーミングは良いですね。すぐにその街の歴史に入っていくきっかけになります。

地元の町歩きガイドの方の案内で、熱海の歴史に触れながら迷路のような坂道の続く街を歩き回りました。こちらは熱海七湯のひとつ、「風呂の湯」です。さすがに温泉の街、あちこちに泉源があって白い湯気が上がっています。

こちらはかつて遊郭だった建物群です。赤線が廃止になってから60年以上ですから、相当古い建物ですが、桜で有名な糸川の近くにこうした建物がたくさん残っています。

多くの地方都市や温泉街が活力を失っていく中で、熱海も例外にもれず客足は減る一方で、一時は自治体が財政再建団体になりかけたこともあるそうですが、近年入り込み客数がV字回復しているとのこと。若い人が主導するまちづくりにより、商店街に活気が戻り、同時に観光客も戻ってきたそうです。実は研修の二日目に、そのきっかけを作ったまちづくり団体の方のお話もありました。どんなことをしてるかはこちらのサイトをご覧ください。

かつては寂れてシャッター街になっていたという熱海銀座の商店街がこちら。空き店舗が大幅に減ったそうです。

熱海というと小津安二郎監督の「東京物語」のイメージがあります。田舎から上京してきた老夫婦が、子供達に厄介払いのようにして行かされる先として熱海が出てきます。そこでは若い団体客が夜中までドンチャン騒ぎをしていて、老夫婦はなかなか寝付けません。騒がしい落ち着かない宿といった、どちらかというとマイナスのイメージの描かれ方をしていました。実際、かつて盛行を極めた温泉宿は同じようなかんじだったところが多いのではないでしょうか。団体客がやってきて、大広間でお膳を並べて宴会をし、部屋に戻っては麻雀・・・といったパターンです。
しかし、人々はいつしかそうした旅をしなくなりました。会社単位などの団体旅行は次第に減ってゆき、友人や家族との個人の旅行に移行していきました。おそらくかつての団体旅行客を相手にするサービスでは個人旅行のお客さんは満足せず、その変化について行けなかった宿は衰退していきました。熱海も含め日本中の多くの温泉街がそうしてお客さんを減らしていきました。弟子屈町も同様です。

人口減少と少子高齢化、大都市への一極集中で、どこの地方都市も先行きに明るさを見いだせない時代です。しかし、今の熱海での取り組みをみていると、決して諦めてはいけない、諦めては終わりだと感じました。そして、世の中は絶えず変わっていくものなので、それに対応していく努力を忘れてはいけないと思いました。だからといって、すぐに何をどうすれば良いのか、簡単なことではありませんが。