地震が起きたのは午前3時過ぎでした。さすがに目が覚めて、結構大きな地震だとは思いましたが、それほど大事にはならないなとその時は思っていました。手元にスマホがあったので、震源地が苫小牧周辺の内陸部であることを知り、かなり遠方であること、太平洋の沖合ではないことから津波は無いなということで再び寝てしまいました。ですから、朝起きて停電していることを知ったとき、なんで?と思いました。それほどひどい揺れではなかったので、地震と停電を結びつけることができなかったのです。
当然のことながらテレビは見られないので、普段は使っていないラジオを引っ張り出してきました。スマホでもその朝はまだインターネットのニュースが見られました。その後だめになりましたが。
我が家の水は井戸水をポンプで加圧していますが、ポンプが作動しなくても自噴している井戸そのものの圧力でチョロチョロと水がでます。調理のコンロはプロパンガスなので、こちらは普段通り使えました。お湯を沸かしてコーヒーをいれ、パンはガスコンロで焼いて朝食をとり、とりあえず普段通りに出勤しました。しかし、停電ですからパソコンは使えず、電話もだめです。会社にいてもなにもできないので、社員は通電するまで自宅待機ということで帰ってもらいました。私は普段できない書類の整理などをしていたのですが、やがて父が会社に来ました。ぐっすり眠っていて地震に気がつかず、ラジオも聴いていない父は、なんで停電してるんだ?と私に尋ねる始末です。
会社は普通に水道が出ました。おそらく水源地が高いので高低差の圧力だけで水道は大丈夫だったのだと思います。結局この日は私も昼前に家に帰りました。ラジオのニュースでは停電が復旧するまで1週間くらいかかるかもしれないとのことで、これはかなり困ったことになったなぁと思いました。冷凍していたものが溶け出していたので、その夜はそうしたものを調理して食べました。しかし、結果的に食べきれずに破棄したものもありました。
翌日の朝も家では停電が続いていました。でも出社してみると思いがけず電気が来ていました。話を聞くと弟子屈町の中心部は前夜の11時頃には復旧していたそうです。結局、熊牛にある私の自宅が通電したのはその日の夜8時過ぎでした。都合41時間停電していたことになります。さっそく温泉を出してお風呂に入りました。電気のありがたみを痛感しました。
当初、テレビを見られなかったので、震源地の近くがどのような状況なのか理解できませんでしたが、ニュース画像を見るにつれ被害が甚大なことがわかりました。やはり画像の情報は大事です。
その後、本州の取引先の方々からお見舞いや安否確認のメール・お手紙をいただきました。ご心配いただき、ありがとうございます。当社のある弟子屈町は震源から遠かったので、地震の揺れによる被害は皆無でした。弟子屈町から震源の厚真町までは直線距離で230㎞ほどで、これは東京~名古屋間とほぼ同じ距離です。北海道は広いのです。
全国の市町村において、面積のランキングを見ると、弟子屈町は全体の73番目の広さで774.33平方キロメートル、お隣の標茶町は23番目で1099.37平方キロメートルあります。2町をあわせると1873.7平方キロメートルで、これは香川県の広さ1877平方キロメートルとほぼ同じです。
しかし、その広い北海道全域が、1つの発電所がダウンしただけで全域停電いやゆるブラックアウトになってしまいました。誰もこんなことが起こるとは思っていなかった、本当に想定外の出来事でした。不幸中の幸いは、真冬ではなかったことです。これが1月や2月だったら、寒さでもっともっとひどい事態になっていたはずです。今回の地震と停電で多くの教訓を得ました。子供の頃、所属していたボーイスカウトの標語「備えよ常に」を思い出しました。
いわゆる風評被害というので、観光地ではキャンセルが増えているそうです。北海道のほとんどの観光地は無傷です。北海道はこれからが一年でももっとも良い季節です。ぜひ、北海道にお越しください。「ふっこう割」も始まりました。
画像は青空が広がる熊牛の牧場と釧路の夕日です。